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フラスコの灯り

次の2冊は共に浮世絵の木版に関する書籍です。この2冊の例では、手もとを照らす工夫として、水の入ったフラスコに照明をあてて光源を作り出しています。

とても興味深いので、フラスコを手に入れたらこないだ買ったLED電球の光と組み合わせて発色を試してみたい。
(個人的に立原位貫さんの本は面白かったです 行動と心情に関する部分はとても勉強になりました)

フラスコによる光源のイメージ
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屏風から虎を出す仕事

■ これは美術的価値の高い芸術作品です。
観る者に感動を与える事ができます。

鈴木春信
三十六歌仙 紀友則 , 中判錦絵 , 1767-1768?

■ これは芸術から解放された鳥です。
芸術の調和から外れた鳥は美術的価値観を失いますが、行く先々で新しい感動を生み出すことができます。

というようなことを、どういうふうに体現して、どう伝えていけばいいのかはまだまだはっきりしてきません。
観て観て調べて調べて考えて作って考えて観て調べて考えて作っての繰り返しを何度も何度も続けています。

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deviantARTを始めた話

著作権保護期間の満了した芸術作品を自由に使用できる”かたち”で公開して、永続的に使える状態にするというしごとを始めました。まだあまり大々的に公表したりする段階でもないので今は実験的に細々と勝手に進めています。(これ)

その一環でdeviantARTを使い始めたんですが、目から鱗というか日々新しい発見の連続ではじめてぱそこん買ったときのような気持ちです。そんで、ここにはAdobeの製品ではなく、GIMPを使ってもInkscapeを使ってもその他もろもろの不思議なソフトウェアを駆使しても誰からも疎まれることなく自由に創作できる雰囲気があります。非常に感慨深いです。泣きそう。久々に絵に惚れるという感覚をおもい出せたり、国境を超えて学び合えたりと、まだ英語ぜんぜんわからんけどそれでもそれなりにとても良い経験になっています。
半年ROMったあかつきには、いんちきドイツ語を駆使してSuperEnglischを身に付けたいとおもいました。

参考 deviantART.jp Wiki

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ソーシャル疲れ

なにかしら目的がある場合、Twitterを使うことで伝えられる事も数多くあるわけです。
と、わかってはいるもののなかなか再開しづらいものがあるのでした。この一年の心境(だけじゃないけど)の変化はとても大きいです。 ソーシャル疲れ。
広めたい事があっても、その数だけ繋がりたくはないという、よくわからんジレンマといえましょう。

そういうことなので、個人的にあまり繋がりの感じられないtumblrは性に合っているのかも。コミュニケーションよりもインスピレーションが惹き合うという感覚。(<-やや気持ち悪い表現)

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パブリックドメインの解釈

■ これは、江戸時代の錦絵を忠実に再現しようと電子形式で模写されたもの。パブリックドメインに属する。

■ 一方、これは再現者(※)の創意工夫が含まれるため、二次創作物となる。日本の法律では現時点でパブリックドメインに属することはできない。
(※おれおれ)
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使いたい人がいつでも使える状態

deviantARTでグッと来る作品と出会ったら作者まで応援(※)したくなってくる不思議。
※(スーパーイングリッシュなので声援を贈るのは難しい…orz)
実際に使ってみるとなかなかおもしろい仕組みだとおもった。
志を持って活動している人達には活躍の舞台が訪れてほしいなあ。
そんで、成功するかは本人次第。

■最近感銘を受けた作品

Ruirin by *koyamori
0515 by *koyamori
■共有リソースの話
ところで、deviantARTには大量の作品が随時投稿されているため、クリップアートやストックイメージなどの”必要なときに必要とする”共有リソースが埋もれた状態になってしまうとおもう。使いたい人がいつでも使える状態にしておくには、投稿者本人(おれおれ)の交友関係を広げたりtumblrなんかのサービスを組み合わせるのがいいかもしれない。というか必要なり。
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稼いで儲ける

 うむ、資金が尽きたなり。

仕事の結果をなんらかの資産というかそのようなものにして世の中につなげていくには一体どういうふうに日々行動すればよいのだろうかという事を考える振りをして過ごしていたところ財布の硬貨もそろそろ打ち止めというところとなった。
稼いで儲けるという常識的な事はよくわからん。
働いて何か作り続ける為には、お金と時間と健康が必要なり。