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見えないものを見よう

ときおり、外出先で非常に腹の立つおもいをすることがある。
まったくもって腹立たしい!
などと、今日もいつものようにひとりで勝手に憤慨していた。
おもわしくない天候のせいもあり、いつもに増してプンスカしていたところ、ようやく理由がわかった。
結論から言うと、およそ9対1くらいの割合で自分側に非があったのであろーということだったのであった。

なんというか、自分が周り(相手)に与えた影響が、相手の言葉や行動に現れて自分に帰ってきていたのだとおもう。 周り(相手)に確認することができない(※)ので推測でしかないんだけれども、僕個人の独特な常識や特異な行動(※※)が少しずつ周囲に不安や不信感のような感情を与えていて、そういうものが積み重なって周囲の行動や言葉として帰ってくるのであろう。 そして、それを見ることでひとりで勝手に憤慨しているのであった。
(※:できれば、どこかおかしな所があれば教えてくださいって聞きたいんですけど、そういう発想が特異な行動というものなんだろうかなとおもう)
(※※:自閉系と呼ばれるような人たちには、そのような行動が見られるらしい。 ただし、僕の場合は単なる個人の個性なのかもしれない。 まだうまくわからない。)

先天的に文字に色が見えるという感覚があり、これを共感覚と呼ぶという。【共感覚?】
ちなみに僕は文字に色は見えない。 黒は黒、グレーはグレーである。 まあ、そういうことなのだ。
人は、お互いの表情やしぐさ、言葉に含まれる意図などから微妙な感情を読み取ることができ、これを空気と呼ぶことがある。 そしてそれは、色彩感覚に近いものなのかもしれない。 色とりどりの感情が多彩な空気となってあらわれているのだろう。
白と黒とグレー、僕が見ていた表情はこの3つだったのかなとおもった。
(同様に、自分に表現できる感情もこの3つになるのだろうとおもう)

空気が読めないってことなのであった。 腹立たしいのはむしろ周りのほうであろう。 しかも自分にはまったく自覚無しである。
訓練で、文字に色が見えるようになるかどうかはわからないが、その文字に特定の色が見えているという事を理解することはできるようになる。
いまさらながら、一般常識や作法、なんとかマナーなどといわれるものを改めて勉強してみようとおもう。 身につけることはできなくても理解することはできるハズである。たぶん。
そういうことで、そのような物事をいろいろと理解できるまで外出は控える事にした(これはほぼ個人的な事情)
なにか、見えないものを見ようという努力をしているような気がしないでもないけれども、見えるものが見えてないということが分かったことだけでも、一歩、人類に近づいたかなとおもうのであった。
(ひとつ問題なのは、自分の非礼に対するお詫びの気持ちをうまく表現することができていないとおもわれる。 火に油を注ぐ結果になることが多い。)

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