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そのころのおもいで

今朝目が覚めると、何かとても物悲しくなってきた。
しかたなくそのまま働いていたところ、不意の強風に煽られて危うく街路樹にライダーブレイクを炸裂させて人生のエンディングロールが流れそうになったのであった。(監督・脚本以下スタッフ全部おれみたいな感じで)
雪もちらちらしていて景色としては絶好のタイミングだったとも言えないことも無いのですが、そんなこと言うとる場合ではないので、お昼にシュークリームと羊羹を買ってきて改めて気合を入れなおして働いた結果、今年中に予定していた作業をなんとか完了させることができたのでした。
すす払いができなかった(すす無いですけど)のは少し残念ですが、これで区切りよく明日からまた新しく先に進むことができるようになります。

毎年、この季節になるとおもいだすのですが、僕がまだ若かった頃に仕事を教わった師匠というか上司は、大晦日が近づくたびに「日が一日替わるだけじゃあ」との格言をおっしゃっていました。
ついさっき、そのころチームみたいな感じで一緒に働いていた先輩からもその格言のメールが届いたりして、逆に、より大晦日を実感できたりするのでした。

皆様、いろいろとありましたが、今年一年とてもお世話になりました。
どうか、よい来月をお迎えください。

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世代交代の端

◆この時期に普通は逆でしょうとおもうのですが、両親がウチのスタジオに来た。
弟が結婚する事になったとの報告に訪れたのであった。
何かの本で、人の細胞は約8年で全て入れ替わってしまうらしい、というくだりがあったことをおもいだします。 もう会う機会はないないだろうというくらいの期間会っていないはずなのに、一目見ただけで自分の親だと分かるという感じは、なんとも不思議なものです。
両親をふくめ、この世代はちょうど今の世代交代の端に位置する年齢であり、社会的第一線を退く世代でもあります。なんとなく話がそれますが、去る人を惜しむ気持ちがあれば、その人から受けた影響を自ら実践して自分のものとして身につける義務と責任があるハズだとおもっています。(多少オオゲサのようですがオオゲサではない話です。多分。) また、その、多分、想像ですけど、そうしてきた人たちだからこそ今惜しまれつつも去っていくのであろうとおもいました。